Posted on: 2019年12月7日 Posted by: 事務局 Comments: 0

サハ共和国のダイヤモンド研磨工場は日本人から始まった!

サハ共和国は、現在世界一のダイヤモンドの産出国です。

当然ダイヤを研磨する工場が多数存在しますが、25年前にサハ共和国で最初の研磨工場を作ったのが日本人だったということは、実はほとんど知られていません。

その日本人とは、唐田弘子という女性です。
1992年、唐田さんは、現地で「サハジャパン」という合弁会社を立ち上げ、スンタル地区で工場を建設し、日本から工場で使う機材と技術者を派遣しました。

サハに行ったことのある人であれば、必ず訪問する宝物館があります。ダイヤモンドや歴史的な工芸品等を展示している博物館なのですが、そこのガラスケースの中には、ひとつの小さなダイヤモンドが、スッポトライトを浴びて輝いています。
そしてそこには
「このダイヤモンドはサハ共和国で初めて研磨されたダイヤモンドです。」
と書かれたプレートが付いています。

実は、このダイヤモンドは、唐田さんの研磨工場で研磨され、日本人の山田さんという方がが研磨したものなのです。当時、
日本の宝石産業の中心地で、宝石学校などがあった甲府地区から、研磨技術を持つ山田氏等3名が選ばれ、現地スンタル地区で指導していました。

ところが、博物館に展示してあるそのダイヤモンドには、日本人が研磨したとは書かれていません。また、現在
、当時の事を知っている人は殆どおらず、展示している宝物館の館長でさえもそのことを知りませんでした。

そんな中、一昨年サハ共和国研磨産業発祥25周年記念のイベントが、現地スンタル地区で盛大に催されました。その際に、唐田さん以下3名の日本人が表彰され、サハ共和国の最初の研磨工場は日本人が建設したものだと、多くの人が知ることになったのです。

唐田さんの研磨工場開設は、当時大変な話題になり、NHKでも放映され、雑誌等でも詳しく取り上げられました(週刊ダイヤモンド5月23日号、フォーブス日本語版8月号、エコノミスト4月20日号、新聞その他多数)

これは当時のダイヤモンドの世界にとっては、信じられないビックニュースでした。なぜならば、世界のダイヤモンドは、デビアス社の支配下にあったからです。そして、世界中のダイヤモンド原石の殆どは、デビアス社の支配下にある、ロンドンの中央販売機構CSO(Central Selling Organisation)で販売されていました。つまり、原石を扱うのはデビアス1社と言っても過言ではない世界だったのです。

唐田さんがデビアス社を介せず、直接サハ共和国と取引をすると言うことは、当時この世界では考えられないことでした。過去に世界の有名宝飾ブランド会社が、デビアスを介せずダイヤモンドの原石を扱ったことがありましたが、その結果、彼らはことごとくダイヤモンドの入手が出来なくなったのです。世界有数のブランド会社でさえも、デビアス社には逆らえないのが、当時のダイヤモンド世界でした。

デビアス社は世界中にサイトホルダーと呼ばれる業者を組織化し、国際カルテルを構築して世界を制覇していました。厳しい審査基準をクリアしてサイトホルダーの資格を得ても、それを剥奪されてしまうと、原石を手に入れることはほぼ不可能だったのです。

ですから唐田さんの研磨工場のニュースは、瞬く間に広まったのです。 

 

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