ミハイル ニコラエフ サハ共和国初代大統領が86歳で死去
サハ共和国初代大統領ミハイル ニコラエフが8月4日、サハ時間の深夜、モスクワにて86歳で死去した。
ミハイル ニコラエフの記憶は、サハのすべての人々の心の中に永遠に残るだろう。
アイセン ニコラエフ大統領はソーシャルネットワークに次のように投稿した。
「ミハイル ニコラエフはサハ共和国の初代大統領であり、非常に尊敬されていた偉大な人物でありました。8月4日、彼の心臓は二度と鼓動をすることはありませんでした。
痛みと悲しみ。そして、ミハイル ニコラエフがサハのために行ったことすべてを語る言葉はありません。彼は、強靱な精神、不屈の意志、そして並外れた人間性の人物であり、常に、人々への愛を着ずかっている人でした。彼は夢を実現する方法を知っていました。
すべてのサハ人にとって、ミハイル ニコラエフは身近な人であり、親愛なる人物でした。私たちの誇りであり、私たちの民族の伝統を受け継ぎ、生涯生き抜いた世紀の人です
最後の日まで、彼は人々の利益のために生きました。そして最後の会話では、いつものように、サハの将来、住民の幸福についてたくさん話し合いました。このような心のこもった会話が二度と行われないとは誰が予想したでしょうか。これは悲しみです。
彼の考え、賢明なアドバイス、導きは常に私にとって人生の指針でした。
ミハイル ニコラエフの家族と友人に深い哀悼の意を表します。すべてのサハ人たちがあなたとともに悲しみます。偉大な人物の記憶は永遠に私たちの心の中に生き続けるでしょう。」
【備考】
ミハイル ニコラエフは、1937年11月13日、ヤクート自治ソビエト社会主義共和国のオルジョニキゼ地区のオクテムツィ村で生まれた。
1961年オムスク国立獣医学部卒業し、ジガン地区の獣医として勤務し。それから彼はコムソモールの仕事に参加し、コムソモールのジガン地区委員会の第一書記、コムソモールのヤクーツク地域委員会のコムソモール機関の部門長、コムソモールのヤクーツク市委員会の第一書記等を歴任した。
1969 ~ 1971年 ソ連共産党中央委員会傘下の高級党学校で学ぶ。
1975 ~ 1979年 ヤクート自治共和国閣僚評議会の副議長。
1979 ~ 1985年 ヤクート自治共和国農業大臣。
1985 ~ 1989年 ソ連共産党ヤクート地域委員会書記。
1989年 ヤクート自治共和国最高評議会幹部会議長に選出。
1990年 サハ共和国最高会議議長。
1991年12月20日 投票の76.7%を獲得してサハ共和国大統領に選出。
1996年 得票率58.96%を獲得して2期目に再選。
第1 回および第 2 回招集の連邦議会のメンバー。
2002年 サハ共和国政府からロシア連邦議会の連邦評議会議員に任命される。
2007年 連邦評議会におけるサハ共和国政府の代表に再任。連邦会議社会政策委員会 のメンバー、連邦会議活動管理委員会のメンバー。
2010年 サハ共和国の国務委員に任命。
2011年 統一ロシアから第6回ロシア連邦議会下院議員に選出。北部および極東の地域政策・問 題国家下院委員会のメンバー。
彼は多くの公的機関のトップでもあった。国際公共運動「イースタン・ディメンション」会長、国家公共委員会「ロシア家族」会長を務めた。
【Yakutia24】通信社 8月11日